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The Last Journey of the Magna Carta King (2015)

 今年は2015年。あのマグナ・カルタ(大憲章)が制定されてから800周年だそうで、イギリスではいろいろな特集番組が制作・放送されているらしい。ということで、今日は先ずその一つを紹介。

 司会進行役のDr Ben RobinsonがKing John(ジョン王)研究の専門家らしいProf Stephen Churchとジョン王の最期の足跡を辿るドキュメンタリー番組。リュックサックを背負った二人が、時にはiPadを手に歩きながら、そして所々では船に乗ってジョン王の最後の日々について語り合う展開は、良く言えば何とも長閑な、悪く言えば何とも間の抜けた感じがすることも。

 ちょっと脱線するが、私がジョン王の名前を初めて耳にしたのは、以前に紹介したStory Tellerのクリスマス特別号に収録されていたKing John's Christmasという作品。これもYoutubeにあるので、一応以下に埋め込み。元々この詩は、これまた以前に紹介したWinnie-the-Pooh(邦題「クマのプーさん」)原作者A. A. MilneによるNow We Are Sixという作品に所収されている。King John's Christmasの詩の残りの部分についてはコチラを参照


 < King John was not a good man —
  He had his little ways.
  And sometimes no one spoke to him
  For days and days and days.
  And men who came across him,
  When walking in the town,
  Gave him a supercilious stare,
  Or passed with noses in the air —
  And bad King John stood dumbly there,
  Blushing beneath his crown. >





 何故King John was not a good manなのか、子供の頃は当然皆目分からなかったが、読んでいるうちに(聴いているうちに)だんだんジョン王が何だか可哀想に思えて来る何とも不思議な詩だった。


 さて、話を今日紹介のドキュメンタリー番組の方に戻して。この番組についてはコチラのサイトを参照

 番組は、1214年に貴族(Baron)が集まってマグナ・カルタの原型ともなったCharter of Libertiesを作成したBury St Edmundsから始まり、その足でEast Angliaへ。マグナ・カルタ制定とその後の貴族らの内乱(First Barons' War:第一次バロン戦争)が続く1216年4月にジョン王が向かったFramlinghamを経て、Louis VIII of France(ルイ8世)が侵攻中だった1216年10月に王が向かったKing's Lynnへ。ここからいよいよジョン王の死へのカウントダウンが始まる。
 当時の塩性の湿地や沼沢(salt marsh)から幾度の干拓を経て今ではすっかり地形・地勢の変化したThe Fensを通り現在のSutton Bridgeを通過してWisbechへ。どうやらこの辺の河口・入り江(The Wash)でジョン王の王冠や記念品を含め荷物の多くが消失したという。そしてその後Swinesheadへ。年代記や言い伝えによると、ここでジョン王が赤痢(dysentery)にかかったとか、桃(peach)やリンゴ酒(cider)の食べ過ぎ・飲み過ぎで体調を崩したとか、修道僧(monk)に毒を盛られたとかいうことになっているらしい。毒はヒキガエル(toad)から取ったとも。Sleafordを経て瀕死の状況でジョン王が向かったのはNewark。ジョン王はここで亡くなったらしい。番組はその後、王の遺体が運ばれたWorcesterのWorcester Cathedralで幕を閉じる。

 内容は番組タイトルにあるように基本的にはジョン王の最後の日々の足跡を追っているため、ジョン王を有名にしたマグナ・カルタそのものについては最初と最後で少し触れる程度。一方、最後の旅で失われたとされる財宝については、途中で現代のお宝探しの現場を中継したりと多少脱線気味なところも含め比較的時間を割いている。ダウジングの様子まで見せてくれて、これまた何とも長閑というか間抜けというか。そう言えば、日本でもバブル時代だったか、徳川の埋蔵金云々とかいう番組を延々と放送していたことがあったっけ。まさにあのノリ。


 この作品もまだYoutubeで視聴可能。リンクはコチラ。親切にも英語字幕付き。興味のある方は見られるうちに早めにどうぞ。


 番組を視聴して感じたこと等を以下に列挙。

 ・ジョン王が自分のベッドを始め様々な物品を持ち歩き、料理人から売春婦まで連れ歩いたというのは驚き。小さな町を一つ連れて(持って)歩いていたような感じらしい。日本なら参勤交代みたいなもんか。これではお金がいくらあっても足りなくなるのは当然のような気もするが。それにしても女の手配までしていれば、日本の戦国時代の織田信長や武田信玄みたいに戦時中・遠征中に女を連れて行けずに結果的に男に走る必要もなかったんだろう。

 ・興味深いのは、ジョン王が各地で出した手紙が何百通と現存すること。それによってどの月日にイングランドの王がどこに滞在していたかが正確に追えるというから驚き。父Henry II(ヘンリー2世)や兄Richard I(Richard the Lionheart:リチャード1世(獅子心王))の時代になかったChancery(a medieval writing office, responsible for the production of official documents)がジョンの時代からはあったとか。
 ジョン王が死んだとされる日を含め、死の直前までこの手紙での王からの指示は各地に飛んでいたという。このことからも、王の側近が王の死を隠してその公表を遅らせて時間を稼ぎ、その間に諸々の態勢を整え王の死にまつわる逸話の創作まで行っていた可能性があるという。この頃から皇族の神格化・偶像化を目的とした情報操作というのは行われていたんですな。

 ・ところで、ダウジングの綴りはdowsingだそうで、番組の中ではエスの発音(dáus)で「ダウシング」と言っていた。まぁ、こんなもの憶えたところでとても今後日常会話で使うとも思えない語だが。それにしてもダウザー(発音は「ダウサー」か)のreading(読み)を、発掘に関わった皆が笑いをこらえながら聞いているようにも見えるんだが・・・。

 ・河口/入り江付近のほんの僅かな時間での潮の満ち引きによる景観の変化にビックリ。あれでは重い荷物を運ぶ部隊が先を急いで碌にガイドもつけずに(?)湿地を渡るタイミングを誤れば、とんでもない結果が待ち受けていたであろうことは想像に難くない。

 ・何となくこの時代の王様、王妃、王子等は皆Westminster Abbey(ウェストミンスター寺院)に埋葬されているイメージがあったので、ジョン王がウェストミンスターではなくWorcester Cathedralに埋葬されていたのは意外だった。ここに埋葬され祀られたことで、Worcester Cathedralも大分潤ったらしい。見事なまでにWorcester Cathedralの中心に安置されているが、ジョン王の方でも下手にウェストミンスターの陰の方で他の有名で人気のあった王の棺に隠れて目立たずに祀られているよりもむしろ良かったのかも。

 ・番組の最大の見どころの一つがジョン王の遺言。現存するものの中では王の最古の遺言の一つだとか。かなり小さな紙片にビッシリと、それでいて非常にコンパクトに、自分の死後に自らの魂の救済のために(!)息子や忠臣だけでなく修道院や貧民にも施与するよう明示されているという。最後まで自分のことを考えていたことは明らかだが、one's makerに赴くにあたって気にしていたのは物質的なものではなくむしろ精神的なもの(soul)だったというのが何とも興味深い。どうやら同時代の他の遺言を見ると、「この品はAに」、「この土地はBに」、「Cにはこれだけの金額を」といった現代の遺書と異なり、このように自分の死後(直後)の物品の細かな分配よりもむしろ魂の救済のために指示を遺書として遺すというのは当時としては比較的よくあることだったらしい。

 結果的にこれで当時僅か9歳だった息子のHenry III(ヘンリー3世)がイングランドの王として即位し、フランスのルイ8世による統治とそれによるプランタジネット朝の崩壊を逃れることになる。と言っても、1066年のNorman Conquest以降イングランドの王は碌に英語も喋れない者も多かったというし、民族的にもどこまでイングランド人(アングロ・サクソン)と言って良いのか。現代のイングランド、スコットランド、フランス等の皇族やその言語・民族・文化的バックグラウンドをイメージしても、当時の実際のそれとはかなりズレがあるのかも。


 イギリスの歴史についてWikipediaの関連記事くらいは読んで基礎的な知識をつけておくと、番組の内容の理解に大きく役立つと思う。その予備知識さえあれば、英語はリスニングで英検準一級~一級、TOEIC700~900くらいのレベルで大体理解できるだろうか。

 East Angliaに一度だけ(一日だけ)行ったことがあるが、あの辺りは街並みから非常に綺麗で、イギリスでも景観に恵まれた地域といった印象を持った。ジョン王の最期の足跡を辿るこのドキュメンタリーでもその辺りは充分楽しめるので、イギリスのlandscapeやtownscapeが好きな方にもお薦めできる番組である。
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個人的なメモ・備忘録・独り言

 小田さんは委員会バンドで夏フェス参加ですか。ちょっとピックリ。これは今年のクリスマスの約束に期待して良いんだか、逆に期待外れに終わりそうなのか。もう放送開始から今年で15年にもなるんだから、毎年楽しみにしている特定のファンがつく一方で、そうでない人からはマンネリ気味という評価が出て来るのもある意味当たり前。それもある意味でこの番組の与えた影響の大きさを物語るものだろう。オフコースや小田さんソロを始め、何でも10年以上続くと特定のファンがつく一方で、外野からはマンネリの声も出て来る。それでもさらに続けて記録を伸ばして行けるかどうかは、結局はその人の才能と努力次第なんでしょう。是非今年もクリスマスの約束の実現を(そもそも毎年やるかどうかというディスカッションから始まる)、そしてその内容の充実を期待したいところ。

 宮市がどうやらいよいよArsenalを退団するようで。若いのでまだまだ頑張って欲しいところ。ただ、ちょっとプレミアは中~下位チームでも厳しいか。スピードだけで、ややアイディアにも欠ける印象。始めからスピードを警戒されると突然選択肢がなくなって動きが読まれていた。それにヨーロッパが長い割に英語に強い印象もないが、それも痛いか(実際にはどうか知らないが)。それとやはり怪我が多過ぎる。また、Jでの実績はもちろんArsenalでも結果が出ていないのに代表に呼ばれたりとマスコミが必要以上に騒いで煽ったためか、ファンが期待し過ぎた面も多分にあるだろう。飼い殺しなんていうとんでもなく的外れな指摘も多くあったようだし。Arsenalはトップチームの中では若手育成に定評がありローン等でも比較的チャンスを与えてくれるチームだったが、残念ながら(現時点では)そのレベルでやれる選手ではなかったということだろう。WilshereやOxlade-Chamberlain等はしょうがないにしても、Gnabry等も少ないチャンスを活かして宮市のずっと先を行ってしまった。ただ、まだ20代前半でチャンスはもう少し残っているだろうから、良い意味で私を含め大方の予想を裏切って今からでも大きく成長して欲しいところ。

 Arsenalにとってもっとずっと大きい話題だったのはDiabyの方。ホントに一瞬でもその高いレベルを見た者としてはホントに残念。怪我さえなければどれほどの選手になっていたことか。こちらは宮市と違って短期間でもトップでその実力を見せていただけに何とも惜しまれますな。もう30歳近いが、もしまだ引退するのでなければ、どこか別のチームで少しでも活躍して欲しいもの。是非頑張って欲しい。

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テーマ : ドキュメンタリー動画
ジャンル : テレビ・ラジオ

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Author:Idler
読んだ本、視聴したテレビ番組・ラジオ番組・音楽の感想など。やや英語の作品や洋楽、特にイギリスのコメディやミステリ作品に偏向。

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